Barjacのブロカント | 2016/03 その2

さて、到着から波瀾万丈で笑い満載の、南フランスのバルジャック道中、2日目。

ホテルの窓の外は草原、カーテンの隙間から差す朝陽のおかげで、7時過ぎには目が覚めた。身支度をして9時にホテルを出発し、清々しい空気の中、葡萄畑の間を45分歩いて村へ。

まずは村の入り口にあるパン屋(「女性パン職人レティシア」の看板)でクロワッサンを買う。そこから数分歩いたところにある城の裏側の、小塀に腰かけて朝食。

そうそう、このバルジャックの城(今は市役所)は、前日の夕方になって初めて見つけたのだ。アナウンスでしきりに「お城の周りにもスタンドがあるので、そちらもお忘れなく!」と言っていたのは、こういうことかと。

何を勘ちがいしたのか、「バルジャックの城は村から10km」などと義父に自信満々で言っていた私(アルデーシュの名所の洞窟か何かと、数字を取りちがえたと思われる)。

というわけで、初見の城沿いのスタンドから回る。

ちょっと変わったタイプの絵柄の皿。

デザート皿くらいの大きさだ。
初めて見る色づかいと花の描き方で、フランスの物ではなさそう、となんとなく思った。

裏を見ると、1790年から1820年の品だというメモ書きのシールが。

窯の刻印と思われるSPODEについて調べたら、イギリス4大名窯の1つらしい。
創業1770年、18世紀末には絵つけの銅版転写技法を開発し、ボーンチャイナを完成させ、ストーンウェア(硬質陶器)の開発もリードしたという優れた業績で、ほどなく王室御用達となったという。

なるほど、銅版転写だから、全くにじみのない細かい描写ができるのか!
転写紙だと必ずにじむか、かすれてしまって、ここまで細い線が出ない。

スポードは青絵のウィロー柄を得意としていたようで、ざっと検索しても、この皿のような渋い絵柄の品は出てこない。

同じタイプの刻印の皿が、18世紀末と鑑定されているのを見つけたので、1790年代の品と思って良さそう。
18世紀末の器が、200年もほぼ無傷で生きていることに感動する。

お城周りのスタンドを全て見終わり、中央広場へ移動。

カマルグ地方の放し飼い水牛(または馬)飼いGardian(ガーディアン、フランス版カウボーイ。「アパート管理人」や「ゴールキーパー」を指すGardienとはつづりも発音もちがう)用のコートを、デッドストックで見つけた。

1970年代の品で、肩のケープは取り外し可能。
仕事着なので動きやすさ優先、肩はちょうどでも、胴部分は相当ゆったりしたシルエット。
馬に乗った状態で最適なように裾が割れているので、歩行時の足さばきも軽い。

内側にはLes indiennes de Nîmes Mistralと刺繍されたタグが。

1938年創業で、今も現役の企業である。
なぜ「インディアン」なのだろうと思ったら、企業由来のコーナーに説明があった。

17世紀に東インド会社によってマルセイユ港に上陸したコットンプリント生地は瞬く間に人気を博し、マルセイユ、エクス、ニームなどの町で技術を真似て製造されるようになった(100以上の工房があったという)。

最初は品質もモチーフも輸入品の再現だったのが、フランス人の美意識に合わせて改良、発展を続ける。

ローマ法皇がアヴィニヨンに居を構えていた1686年、その庇護下で「インドプリント生地」はさらに大きく発展し、今日よく知られるプロヴァンス生地の元になった。

なるほど、プロヴァンス柄にペイズリー模様が絡んで来るのがずっと不思議だったのだが、元はインドの綿プリントだったのか!

17世紀と言えば、庶民は地味な色の麻か毛織物、高貴な身分の者はシルクに豪華な刺繍が施された衣類をまとっていた時代。
「絹に刺繍」よりはずっと安く、カラフルな模様を着られるというのは、夢のような話だったんだろうな。

いかにもアール・デコなデザインの小さな灰皿を見つけた。
こうやって立てて置いて、小さな彫刻として愛でたい。

裏にはFAIENCERIE NOUVELLE DE PROVENCE AUBAGNE FRANCEという刻印。

このオバーニュ窯というのは、カフェの灰皿を特に多く作っていたようで、灰皿の画像がたくさん出て来る。

1910年創業当時はFaïenceries d’Aubagneが正式名称、1929年から1937年までがFaïencerie Nouvelle de Provenceという名称(1938年にProcéramと名称変更し1981年に廃業)だったので、1930年頃の品だと推定。

初日にしっかり見たはずのスタンドでも、新たな発見があるものだ。
角度を変え、気分を変えて、何度もじっくり見て回るのがいい。

1897-1898年度の女子小学校の大きな記念写真。
少女たちの服は手作りの力作ぞろいである。
みんなちがうデザインなのに、なんとなく統一感が。

カフェの勘定皿
リム無しのタイプは持っていなかった。ブリュロ用のソーサーと同じ形だ。

初日に見つけたけれど買わず、何度となく見に行っては、売れていないのを確認してホッとしていた、ムスティエ焼きのBérain(ベラン)モチーフが描かれた皿。5度目の訪問で、とうとう買う。

そこはムスティエ焼き専門のスタンドで、19世紀の物だと言われた。

が、見覚えのあるサインに、Olérys-Laugier窯の作ではないかと思っていたので、パリに戻ってから刻印本を隅々まで調べた。

私の見立てはたぶん合っている、だとしたら18世紀の品だ。そうだとうれしい。

ムスティエ学会のサイトに、「人気のあったBérain模様は数多く作られたが、Olérys窯から出た品以外にはサインが無い」との記述も見つけた。

古本専門のスタンドで、特徴ある赤紫色の布張り表紙の1冊を手に取ると、思ったとおりNouveau Tardyシリーズだった。

上のムスティエの皿にも描かれている、Bérain(ベラン)と呼ばれる図案が載っている。そう、この巻は図案事典なのだ!こんな巻が存在するというのを、今まで知らなかった。

調理用の陶器の、形状別の名称が並んだページ。これは楽しい。
こんな調子で図ばかり並んでいるので、Nouveau Tardyシリーズ中で最高に厚い巻になっている。

スタンドを見てカフェ休憩、を3度も繰り返すと、16時頃には手持ち無沙汰になってしまった。

前日に見つけた、その場でもグラスで飲めるしボトルも買えるという小さなワイン屋で、シラー100%のワインを1本買い、持ち帰る用に栓を抜いてもらう(ソムリエナイフを持って来るの忘れた)。

広場のバス停前にある、いかにも古そうな肉屋で、パテ2種類(茸入りと田舎風)と栗入りのカイエット(肉団子状のパテ、またはギュッと丸く握ったハンバーグみたいな物)を買い、その隣のパン屋でパンを買い、ホテルに向かう(また4km徒歩で)。

この日の夕飯は、ホテルの部屋で取る。
ナイトテーブルを移動して2個くっつけ、備え付けのグラスや皿を駆使して、ベッドの端っこに座って、室内ピクニック状態。こういう旅も好きだ。