パリ5区(Av. des Gobelins)のブロカント | 2017/06

1年ぶりの5区

まずは知人Tのスタンドへ。

1960年代終わりごろのYves Saint Laurentのサファリ・スーツを思わせる、細長いシルエットのシャツを見つけた。
1960年代のイギリス軍コマンドー部隊(少数精鋭の特殊部隊)の、女性用シャツだと言う。
なるほど、ではサンローランのサファリ・スーツの、元ネタの一部になっていた可能性もあるわけだ、時代も合うし。
ベークライト製のボタンも損傷なくそろっている。

次に知人Lのスタンドへ。
いつもの場所にいたので、すぐわかった。

巨大な古い地図がバラ売りになっていた中から、迷いに迷って2枚を選ぶ。
Michel-Étienne Turgotの命により、1734年から1739年にかけて作られたパリの地図。
通称plan de Turgotの一部(全20枚)で、1979年にSorbier出版社から再出版されたもの。

再出版とは言え、一般向けの書籍扱いではなく、研究者用の専門書としての限定出版。かなり数が少ないらしい。
Bibliothèque nationale de France(フランス国立図書館)にも所蔵。

地図原画を描いたのはLouis Bretez、原版はChalcographie du Musée du Louvre(ルーヴル美術館エッチング部門)に保存されている。
ルーヴル所蔵のエッチング版といえば、マルセル・デュシャンの祖父の作品を買ったことがあったな、いまだに額装できていないけれど。

縮尺は約1/400で、20枚全てをつなぎ合わせると249 × 318cmにもなる。
パリ全体を北西方向から見た鳥瞰図で、北が真上を指す地図に慣れている身には、ちょっと分かりづらい。

私が選んだのは、全部を並べた時に左上角に当たる通し番号1番と、左列の下から2枚目の13番。

パリ市が区ごとに分割されたのは1795年が最初で、全12区。
それよりも半世紀以上前の地図なので、区の概念はまだない。
分割して20枚の地図だから20区の区ごとなのかと思いかけたが、便宜上20枚になっただけのようだ。

1番の左端には何もない。
畑ばっかりだなと思ったら、今のHôpital Saint-Antoine周辺である。
小さいな、当時のパリ!
今のメトロの駅で言うと、8番線のFaidherbe-Chalignyあたりで、もうパリの北東の果て。
はじっこなので、嫌われものの病院があったり、肉屋がぽつんとあったりする。
この角地の飛び地みたいな肉屋が面白くて、これを選んだ。

13番の方は、もう少し混みいっている。
右上には直線で描かれた建物がびっしり並び、下の方には果樹園らしき土地が広がる。

その果樹園との境には、サン=ラザール駅が。
今ではプランタン百貨店のすぐ裏のサン=ラザール駅が、パリの北端。
そりゃあ、デパートみたいな大きな建物をいくつも作る土地が、残っていたわけだ、19世紀まで。
モンマルトル地区は、まだパリに含まれなかったような時代。

このあと軍物スタンドのGにも会う。
ほぼ全ての顔見知りに会ったかな、D以外は… と思ったころに、彼女のスタンドを発見。


Jean MidolleのSpecimen des écritures modernes(ヨーロッパ中世の装飾文字大全)を、また1枚買い足した。
Dも常に全部のページを持って来るわけではないので、毎回注意して見るようにしている。

彼女は夏休み返上でパリに出店するというので、じゃあまた近々ね、と言って別れた。