パリ13区(Av. d’Italie)のブロカント | 2019/02

4ヶ月ぶりの中華街13区、大通り沿いのブロカント。悪天候で延期された春節パレードの前日だった。

紙ものディーラーDのところで、1922年のファッション雑誌を見つけた。

私の大好きな時代の服ばかりが載っていて、やや興奮気味に全ページをチェック。

一部、糊か何かで強く接着されてしまったページがある(しかもそれがとてもいい写真のページだったりする)ほかは、おおむね良い状態である。

別のスタンドのごちゃごちゃしたテーブルの上で見つけた、古いジャム容器。

オーヴェルニュのコンフィチュールと書いてあるので、中央山岳地帯のオーヴェルニュで作られたジャムなどが入っていたらしい。

裏面には、A.Rouzaud, Chocolat de Royatとある。

フランスの中央山岳地帯の村Royatにあった老舗の零細チョコレート会社を、若い起業家Rouzaud夫妻が買い取ったのが1892年。この買収によって、Rouzaud夫妻は高級チョコレートブランドを作るという夢を叶え、Marquise de Sévignéという有名店に仕立て上げた。そう、今でもパリにお店のある、あのマルキーズ・ドゥ・セヴィニエだ。

ということは、屋号がMarquise de Sévignéに変わる1898年よりも前なので、このジャム容器の時代は1892年から1897年の間だと特定できる。古いだろうとは思っていたけれど、19世紀末までさかのぼるとは思わなかった!

釉薬が厚く盛られた青白い地に、ぎこちないステンシル文字と花の絵が添えられた、民芸お土産感にあふれる意匠。これにロウびきの布で蓋をしていたのだと思うけれど、それが赤いギンガムチェックの模様だったりしたら、もう完璧ではないか。

同じテーブルの上から見つけたソース入れはやや小ぶりで、競馬のイラストというのが珍しい。

Chauveau & Cornuché 1910の刻印があるので、1910年の品物だ。

調べてみると、Cornuchéというのは1867年パリ生まれの男性の苗字だということがわかる。

父親がワイン商兼カフェ経営者だったウジェーヌ・コルニュシェは、10代のころから給仕として働き、マドレーヌ広場のChez Duerand、ロワイヤル通りのWeberと、有名人が集うレストランで勤務する。

そのころパリ社交界の華だったIrma de Montignyは、彼女行きつけのWeberの指定席が見知らぬ他人に占領されていることに憤慨。そのWeberの数メートル先に、友人たちと共同で「Maxime et Georges」という名のビストロを作った。

Maxime et Georgesの総支配人は、Weberでサービス係として勤めていたMaxime Gaillardである。彼の人脈と人気もあって、瞬く間に一世を風靡する人気店になった。

1894年にはウジェーヌ・コルニュシェがMaxime et Georgesに給仕係として加わるが、そのわずか数ヶ月後に、総支配人のMaxime Gaillardが逝去。

そこでコルニュシェはもう1人の給仕人のChauveau氏と共同で、総支配人の座を継ぐことになる。
カフェの屋号も洒落た英語風に変更され、かくして「Maxim’s」が誕生する。

そう、このChauveau & Cornuchéは、有名カフェMaxim’sの2代目経営者たちの名前なのだ。コルニュシェは当時28歳。

1900年のパリ万国博覧会に合わせて店の内装をアール・ヌーヴォーのデザインに変え、Maxim’sを観光客の押し寄せる超人気店に仕上げ、若くして「レストラン界のナポレオン」の異名をとるように。

さらに、40代でドーヴィルの大再開発プロジェクトを任され、かの有名なノルマンディー・ホテルやカジノを作り上げたコルニュシェは、ドーヴィルの父と称されている。彼なくしては、華やかなリゾート地ドーヴィルの姿はなかったということだ。

私が買ったこのソース入れは、ドーヴィルの新カジノとホテル・ノルマンディー開発着手記念の品物である可能性が高い。

少し離れた別のガラクタ売りのスタンドでは、銀塩写真の現像用トレーを見つけた。大きさもちょうどよく、とても良い状態だ。

裏には10×15版用であることを示す文字と、Longchamp Terre de Ferの刻印がある。