パリ11区(Bd. Voltaire)のブロカント | 2018/09

メトロの駅を7つもかかえる長い長いVoltaire大通りの、Voltaire駅とSaint-Ambroise駅の間でのブロカント。
3年前にもこの辺に来ているけれど、毎回ちょっとずつ場所がずれている。

紙ものディーラーDのところで、パリの地図を買う。

パリ市地下鉄公団(RATP)ではなく、その前身のNord-Sud鉄道の路線図なので、1902年から1930年までの間のものだ。

さて、前に買った地図のように、もう少し年代を絞っていきたい。

メトロ6番線がすでにあるので、1909年以降。

13番線のLiège駅があるので、1915年以降。

5番線のQuai de la Lapée駅があるので、1916年以降。

10番線のÉglise d’Auteuil駅があるので、1920年以降。

13番線のChamps-Élysées駅があるので、1923年以降。

これ以上の判断材料がないので、1923年から1930年までの7年間に作られた地図、ということだ。

アンヴァリッド駅あたりの、くにゃっと丸い線路が好きだ。
おまけに、文字が手書きっぽい。
薄いグリーンが基調というのも、めずらしいな。明るくて見やすいし、かすかな高級感すら漂う。

裏面には、パリ郊外まで含んだ地図が刷られている(中央の白っぽい部分がパリ)。今のわが家の辺りは、まだ雑木林か何かだった時代だ。


ヴィンテージ服ディーラーのLのところで、タイトスカートを見つけた。
Celine(eにアクセント無しの時期は昔にもあった)の、1970年代の品物。イタリア表記の42なので、Mサイズ。

ショールーム用のプロトタイプだったようで、素材&サイズ表示のタグ(ブランド名タグの下の方に縫いつけられている)が、スタンプで捺した枠にペンで手書きだった。洗濯した時にタグの文字がすべて流れて、ただの白いガーゼになってしまった。

プロトタイプの服は他にもいくつか持っているので、他のを洗濯する際には気をつけよう。というか、プレタポルテのブランド物を、家で洗濯するのがまちがっている。

コットン製の、コーデュロイの織り地と言ってよいのだろうか、こういう生地は初めて見た。

スーツで店出しされていたので、まさかスカートだけでは売ってくれないだろうなと思って訊いたら、「いいよ。誰にでもいいよとは言わないけど」と。優しい!ジャケットは私には全く似合わないデザインだったので、よかった。

Lが笑いながら「これのこと、心の中でベルランゴ飴って呼んでた」と言った。
南フランス名物のカラフルなベルランゴ飴の色彩に似ている、たしかに。


軍ものディーラーTが見せてくれたカーキ色のパンツ数本の中に、M47の小さめサイズを見つけた。TはM47だとは分かっていなかったようだけれど、ずっと探していた私にはピンと来た。

ハリがある布でカッコいいのだ。裾をボタン留めで絞ってもいいし、大きめにロールアップしてもいい。

サイズ表記は21(これも洗濯したら色が薄くなっちゃった)、ウエストは最小サイズで、股下は2番目に短いタイプだ。これで、前週に買ったホルターネックのニットに合わせて着られる。来年の夏に。

ここを訪れた2週間後、10区のブロカントでGに会った時にこれを履いていたので、本当にM47かどうかを訊いてみた。

「ボタンが1つだね、これはM47の1962年バージョン。ボタンが3つあるやつが最初期モデル、次に2つになって、最後に1つになるんだ」と。さすが、詳しい。

さらに、軍ものに詳しいサイトの情報などを総合して、整理してみた。

1947年から1949年の前期モデルは、ベージュを暗くしたような色味の肉厚のコットンツイル地製。
刻印入りのメタル製ボタンが3つで、表からボタンが見えない比翼仕立て。
サイズ表記はcm(数字)とCかMかLの長さ表示の組み合わせ。

1950年には、3つボタンがベークライト製に変わる。

1951年から1952年モデルでは、隠しボタンが樹脂製の2つに減る。

1953年からのモデルでは、むき出しの樹脂製2つボタンに変更される。サイズ表示が数字2桁(21とか13とか32とか)に。

1950年代後半から、むき出しの樹脂製1つボタンになる。

1962年からヘリンボーン生地が採用される。