パリ4区(Village Saint-Paul)のブロカント | 2025/12

雰囲気のいいギャラリーや個人商店や小さめのレストランがぽつりぽつりと並ぶ、石畳のVillage Saint-Paulでブロカント&地域バザーが開催との情報を得た。そういえば何度か来たことがあるなと思い出したら、もう7年半も前の話ではないか。

Saint-Paul駅から歩いてブロカント&地域バザーを少しだけ見て、そのまま知人の展覧会を観にギャラリーに行った。

陶芸教室の先生たちのグループ展なのでメインの展示は器とか立像なのだが、壁際に10点ほどそっけなく飾られた、モノクロの版画のような平面作品が気になる。でも値段もついていないし、きっと陶芸作品のアイディアを練っていた時のスケッチとかそういうのだろうな…

しばらく眺めて、やっぱり気になるので売り物かどうかをギャラリーのスタッフ(展示作家の中の1人だった)に訊いた。これも売り物だと言う。では、と2枚を選んで購入することに。

版画と絵の中間のような感じで、技法についてざっくり説明してもらっている途中で「本人は地下で作業中なので呼んできます、直接聞いた方がいいと思うので」と、作家を呼び出しに行ってしまった。陶芸作品を買うつもりはないのに制作の邪魔をしてしまって、なんだか申し訳ない。

本人がやって来て、技法やモチーフについて説明をしてくれた。ついでに署名もしてくれた。なるほど、やはり版画的な絵画という印象は当たっていた。

表現もさることながら、この構図のミステリアスさにやられてしまった。なんだこれは。ピラミッドに対峙する球体たち。

そして、これと対になるなと思って選んだもう1枚が、

こっちは陶芸家らしいというか、見ればわかる主題。卓上に置かれた器が、テーブルクロスの模様と見つめ合っている。

どうやって額装しようかなと考えているところ。


ギャラリーを出て、ブロカントの続きを見る。

すぐに気になるものを見つけたのだけれど、あいにく店主が不在。留守を任された隣のスタンドの人も忙しそうだったので、そのまま先へ進んだ。端っこまですべてのスタンドを見て、やっぱりあれは欲しいなと思って、まっすぐ戻ってきた。

さっきはいなかった長身の男性、彼が店主だろう。少し離れたところから値段を訊いたら、ほぼ予想どおりの数字だった。ならば買う。

AFRICANの文字が堂々と並ぶ、ガラス瓶。

工業製品であることを疑いたくなるいびつさ、木型で作られたゆえの縦方向の筋、欠けた部分が経年の摩擦ですっかり滑らかになった様子、内側から苔むしたような眠たい色。

瓶の出自と用途について質問すると、19世紀の品物で、蒸留酒のジンが入っていた瓶との返事。アフリカでジンを作っていたのか?

帰宅してから調べてみたら(夫の協力も得て。彼はこういう海賊ロマンの匂いのするオブジェについては、頼まずとも勝手にどんどん調べてくれる)、18世紀から20世紀にかけて、オランダのV. HOYTEMA & C. CASE社がアフリカに輸出していたジンの瓶だということが判明。アフリカ輸出専用ボトルなのか。

大航海時代、ヨーロッパからアフリカへの輸出品(悪名高い三角貿易の際の)で重要だったのは布、銃、火薬だった。17世紀末から、ブランデーやラム酒もそのリストに加わる。これらの蒸留酒は西アフリカの部族間で、結婚や葬儀などの儀式や、祭りでの神への供養として使われるようになっていく。その前からビールやワインのような醸造酒は存在したらしいけれど、アルコール度数の高い蒸留酒は少量でガツンと酔ってトランス状態みたいになるから、こっちが人気になったのかな… 香りも深いし、透明感ある色で、慣れ親しんだ醸造酒よりも神秘的に思えたのかも。

19世紀後半にはオランダとドイツのジンが急速に普及し、ラム酒を上回る人気を得ていく。その主な理由は、価格が「他の蒸留酒よりも安かった」から。

「ブラック・ガラス」とも呼ばれた濃い緑色のボトルが採用された理由は、透明なガラスの輸出入には高い関税が課せられた時代ゆえ。角ばった形状は、長い航海中にボトルが転がったり、輸送中の振動で割れたりするのを防ぐためだった。なるほど、外部条件の色々がこの無骨なデザインを形づくった、というわけだ。

V. HOYTEMA & C. CASE社がこの形のボトルを採用していたのは1861年から1928年までらしいので、私が見つけたこのボトルは、おそらく1880年代とか1890年代とか、そのあたりのものかなと想像している。