真冬でもブロカントに行けるのがパリのいいところ。4年近く訪れていなかったらしい、12区のLedru-Rollin大通りのブロカントでの収穫。
アルミ製の箱とスプーン、それぞれ別々のスタンドで購入。
スプーンはおそらく、1960年以降のキャンプ用品だと思われる。
こういう何でもない単純な造形の工業製品が好きで、つい集めてしまう。
アルミの箱の方は、蓋に油性ペンで書きなぐられた文字を消すのに、半時間ほど水場で格闘。もう少し簡単に落ちると思っていた。
フランス国発行のパスポート、1951年3月14日発行。
1926年生まれのロジェという名の男性が持ち主。職業欄に最初に書かれた文字列が黒線で消されて、「柔道の先生」に書き直されている。人生第2の職業が、柔道の先生!
今なら簡単に偽造出来そうなエンボスの印。
そうだ、身分証明書にも笑顔の写真がOKだった時代だ(今は笑うなと言われる)。
左側は身体的特徴を記すページ。
身長 : 1m77
髪の色 : 栗色
眉毛 :
額 :
瞳 : 茶色
鼻 : まっすぐ
唇 :
口髭 :
顎 :
輪郭 : 卵型
肌色 : 明るい
その他特徴 :
項目が細かく分かれている。
「眉毛 : 繋がっている」「額 : かなり広い」「口髭 : チャップリンのよう」「顎 : 割れている」とか、色々な例を想像してみると楽しい。
渡航記録欄。この人はスペインによく行っていたようだ。EUの出来る前だから、隣国に行くにもパスポートが必要だった頃。
茶色のハードカバーの小さな本は、Comptes Faits de Barrême en Francs et Centimes、貨幣・重量などの各単位換算結果の一覧本。ちょうどiPhone5sくらいのサイズで、1810年発行!
右ページには最初の持ち主の名前(Mで始まると思うが読めない)と、Chef d’escadron Aide de campとの文字。
ナポレオン皇帝による第一帝政時代、軍隊の将校付きの人物がAide de campで、担当将校の任務を助けたり雑務を請け負う階級(Aide de camp自身も将校なので、雑用アシスタントとはちがって身分は高い)。
本の中には、買い物メモと思われる紙片が挟まっていた。
「ピアノ1台」「シャンデリア2つ」「カーテン3組」「Bureau de dame(小型の文机)1台」「絵画1点」「象牙の彫刻2点」「ナポレオン・ボナパルト皇帝(当時バリバリ現役在位中)の銅版画2点」「壁掛けランプ2個」「藁貼りのダイニングチェア6脚」「肘掛け椅子2脚」「本2冊」と、まるで将校階級の身内(愛妾かも知れぬが)の小さな引っ越し用の買い付けを任されたようなメモに見える。
1810年代当時、ピアノがどれほど高価な代物だったかは、想像するに及ばず。
例えばこの左側の122ページには「2フラン10サンチームの物」を2個買うと幾ら、3個だと幾ら、と40個まで順に書かれ、その後は10個単位で100まで、後に100個単位で1000まで… と続き、最後が10000個。
右下部に囲みで小さく「3分の1」などの1単位未満の計算結果も記載。
右隣の123ページは「2フラン15サンチームの物」。
日本人の感覚だと「ソロバン持って行けばいいのに」と思うのだが、当時の軍隊の将校クラスは全員が元貴族階級の人間なので、金勘定のような商人の技術は身についていない、つけていてはいけないのかもしれない。
辞書を引くかのようにこの小型本を参照すれば、計算まちがいもなく検算も不要。1669年初版の由緒あるFrançois Barrêmeの計算書に書かれているとあれば、計算が正しいのは誰の眼にも明らか。
ある意味たいへん合理的であり、商取引が若干インテリっぽく見えるというオマケつき。
1808年にフランスで、Jean-Baptiste Genoux (Claude Genouxとも呼ばれる) が紙型(活版印刷で原版を複製するための、紙製の鋳型)による鉛版(「ステレオタイプ」とも呼ばれる)の複製に成功後すぐだった事もあり、本文の前に書かれた編集部の文章が興味深い。
「活版複製を保存可能なStéréotypie技術のお陰で、本文中の誤植を簡単に修正できるようになりました。読者の皆様方の中で誤植を発見された方は、出版社までお知らせ下さいましたら、修正された新版を1冊贈呈致します。」と。
1文字ずつの版を組んで刷るのが活版印刷の「原版刷り」、されど組み上げた活版そのものは数千枚を刷った時点で摩耗してしまう。
そこで、文字組み原版の複製を使う事で、大量印刷が可能になる。
また、金属活字を組んだ原版は非常に重くかさばり、万が一の重版に備えて保存するのは不可能。その点、軽くて薄い紙型は保存にも向いている(19世紀の紙型の発明以前には、17世紀に粘土で、18世紀には石膏で複製版を取る方法が考案されていた)。
誤植の修正の際は、オリジナル版である貴重な紙型そのものには手を加えられないので、紙型から鉛版を取り、修正部分だけを象嵌状に切り貼りして刷る。
奥付の発行日などはこの方法で書き直して重版された。
ただし、紙型から型取りした版は「活版の複製(=紙型)の複製(=鉛版)」なので、印字の精密さでは原版刷りに劣る。
さらに、鉛の活字は加熱すると収縮、紙型も加熱によって縮む性質があるので、ごくわずかに原版より小さくなる。版を重ねるごとに収縮していき、この「版の縮み」はしだいに目立つようになる。
なるほど、昔の初版本が高価なのには理由があった、印字が精密で絶対的に美しいということだ。
いくつかの欠点はあったものの、このステレオタイプ技術が、近代の書籍の民主化に大きく貢献したのはたしかである。
ちなみに、「型どおりの」という意味で使われる「ステレオタイプ」という言葉は、この印刷技術に由来する。
裏表紙の手前に、何やら震える字で書かれている。子供か老人のような筆跡だ。