なんと、実は初めての(もしくは買い物したのが初めて)ブロカント。
しばらく会えていない紙ものディーラーDに年末の挨拶をしておこうかなと思い(真冬はみんなブロカントに出なくなるし)、日曜日の夕方に1人で行った。
前日に訪れたモンマルトルのブロカントは小規模であまり面白くなかった。17区の方がさらに小さいのではと思って着いてみたら、ずいぶん充実していた。なんだ、こっちに来れば良かったね、昨日。
着いた時にはDは不在で(いつもなぜかこうなる)、隣にスタンドを構えるDの友人のM氏が私に気づいて、「Dはカフェに行ってるよ」と教えてくれた。しばらくスタンド内で品物を眺めつつ待っていたのだが、長くなりそうだし先に他を見て回ることにする。
4-5軒となりのスタンドにあった19世紀の観光土産のペーパーウェイトがなかなか良かったけれど、けっこう高い。いったん保留にして先へ進む。
ブロカントの端っこまで行き、大通りを渡って向かい側に並ぶスタンドも順番に見る。特にいいものはなかったので、じゃあ今日はペーパーウェイトを買うことになるのかなとぼんやり考えながら、また横断してDのスタンドを目指す。カフェから戻ってきている。
なんだかんだで10月から会っていなかった。ダブルベッドくらいのサイズの超特大広告ポスターや、ワインにまつわるもの(果実、害虫、クラシカルな栓抜き、瓶、ブリキ製ボトルホルダー、樽など)のイラストが描かれた100年ほど前の印刷物を誇らしげに見せてくれた。
小さな版画が入った木箱の中身を全部出して1枚ずつチェックしていたら、面白いのを4点発見。
これは1933年の写真で、当時のRenaultの自動車製造工場を空撮したもの(キャプションには「郊外の大工場」とだけある)。パリ西部に接したSeguin島というセーヌ川に浮かぶ島に、かつてのルノー社の工場があった。安藤忠雄デザインの美術館ができるはずだったのが頓挫したところまでは覚えているけれど(当時あのあたりに住んでいたし)、その後どうなったのかを知らなかった。コンサートホールができたんだね。
広大な敷地に整然と並ぶ工場施設のヴィジュアルって、直線構成で清々しくて好きなのだ。SF映画の背景のような。
これは現存する2区の証券取引所の、1903年の様子。男性が黒いコートに黒い帽子でステッキを持ったスタイル。女性も長いスカートに帽子。乗り物の形がおもちゃみたいでかわいいぞ!
こちらはパレ・ロワイヤルの庭園。19世紀の様子らしいが、テーブルに着いてお茶を楽しんでいるのがわかる。パリジャンは昔も今もやっていることが変わらないな。
さて、これが謎の1枚だった。全部で3枚にしておこうかと悩みつつ、やっぱり気になるので買ったのだ。
タイトルは「Le pont neuf et La Samaritaine(ポン・ヌフ橋とサマリテーヌ)」。
えっ、サマリテーヌってあの、セーヌ川の右岸にある百貨店の?
ちっちゃくない???
Dに見せて「滑稽なレベルで小さくない?」と問うと、完全に同意してくれた。が、「こういうのはMに訊けばいいんだよ詳しいから!」と言うが早いか、さっさと隣のスタンドのMを呼びつけてしまった。
「いやあこれは… デパートって感じじゃないよねどう見ても」と調査してくれること数分、謎が解けた。
この建物はセーヌ川の水をポンプで汲み上げる揚水装置。時は西暦1603年、ポン・ヌフ橋と同じくアンリ四世が作らせたもので、チュイルリーとルーヴルという広大な両庭園に水を供給するのが目的だった。
ところでポン・ヌフ橋は「新橋」という意味。「橋の上に商店建築が並ばず、純粋に通行目的のために存在、しかも左岸から右岸までを一直線に繋ぐ」橋というのは、当時はたいそう画期的だったそうだ。だから新しい橋、という名前がついた。
それまでは存在しなかった「橋の上から景色を眺める」という楽しみが誕生し、浮き彫りで美しく飾られた最新式の揚水ポンプもある。ポン・ヌフ橋は瞬く間にパリジャンの人気観光スポットとなった。ラ・サマリテーヌは聖書に登場する「善きサマリア人」のことで、フランス各地の泉は古くからこの名前で呼ばれることが多かったという。
約200年の間、何度か改築を繰り返して存続していたラ・サマリテーヌ揚水ポンプは、1813年に取り壊された。この頃にはパリ市内に運河が建設されて、揚水装置の役目は無くなっていたのだ。
揚水ポンプが消えてから50年少し経った、1868年。ポン・ヌフ橋の上に赤いパラソルを立て、生地の行商をしていたErnest Cognacqという人物がいた。その後、彼は橋からすぐのところにあるrue de la Monnaie(ラ・モネ通り)に初めての店舗を構えるのだが、その店はごく自然に「La Samaritaine」と名づけられた。そう、あの揚水ポンプにあやかった屋号だ。
質素な小さい商店だったが繁盛し、周囲の建物を少しずつ巻き込んで、とうとう百貨店の規模になる。それが現存するSamaritaineデパートである。
この版画の揚水ポンプの建築には、「壮麗な浮き彫り」なんていうものは見当たらないので、おそらく何度目かの建て替えの後の姿。通行人の服装からも、おそらく取り壊される直前あたりの最後の様子だろうと思う。
私はこの4点を購入し、さて帰ろうかねと思った時に、スタンドのテントの外側の壁にかけられたポスターに気づく。こっち側に回るタイミングがなかったから、完全にノーマークだった。
すばらしい構図、描写だ。このアーティストのこと、知らなかったよ…
Konrad Klapheckは1935年にデュッセルドルフで生まれたドイツ人のアーティスト。このポスターは1985年の春にパリ8区で開催された展覧会のものだ。
現実以上にピンと張り詰めた赤い糸、金属の重量。描写力も構成力も完璧すぎてため息が出る。
Dが他の人の接客で忙しく喋っている間、誰かに掻っ攫われでもしたら後悔千年と思って、ずっと額のふちを掴んで待っていた。手がすっかりかじかんでしまった。
というわけで、またポスターが家に増えた。