Au Petit Bonheur La Chance その2

4区のVillage Saint-Paul内にある、小さなブロカント雑貨店を久しぶりに訪問。
定員3名が限界というミクロな空間に、心惹かれるものが山盛りである。

フランスの各県の、地理と県番号と県名の早わかり表。
県番号1-45番と、46-90番の2面構成… ハッ、うちの住所の県番号がないよ!

調べてみたら、91、92、93、94、95番の県番号が出来たのは、1968年だとか。
今まで、県番号から地理的位置を知りたい時には、地図を端から順に見て探していた(県番号は県名の頭文字のアルファベット順になっているため、地図上での並びはバラバラ)のだけれど、これは便利な道具だ。

Rébus(レビュス)と呼ばれる、謎解き文遊びのカード。
例えば、写真の真ん中の謎解きは、

1段目
最初の「le」はそのまま、次がCheval、「IÉ」氏が「IAR」氏をbat(バ。殴る・打つの意味の動詞battreの3人称単数形)。
これで「le chval ié bat iar(ル・シュヴァル・イエ・バ・ヤール)」=「le Chevalier Bayard(ル・シュヴァリエ・バヤール)」

2段目
樽がfût(フュ)、「20」がvingt(ヴァン)、ハートがCoeur(クール)、囲みの1933はAn(アン、年のこと)。
これで「fût vingt coeur an(フュ・ヴァン・クール・アン)」=「fut vainqueur en(フュ・ヴァンクール・アン)」

3段目
鳥の巣がnid(ニ)、山積みtas(タ)、ベッドlit(リ)。
これで「nit tas lit(ニ・タ・リ)」=「(enからのアンシェヌマンでnを発音)Italie(ニタリ)」

ということで正解は、

Le Chevalier BAYARD fut vainqueur en Italie.(バヤール騎士はイタリア戦の勝利者)

世界最古のデパート、Au Bon Marchéの包装袋の復刻版。

ヴィシー、アルジェ、カイロに支店ありと書かれているのが、植民地政策時代を反映(カイロはナポレオンが植民地にし損ねたのに、デパートの支店はあったらしい)。

そして、年中無休と!土日は商店が閉まるのが当たり前だと思っていたけれど、休みなしの時代もあったとは、驚き。

もう1つ面白いのが、最寄り駅の記載。
「メトロポリタン線Saint-Sulpice駅とSaint-Placide駅」は現在のメトロの駅に対応するので分かる、でもNord-Sud線Sèvres-Croix-Rouge駅って、どこだ?

今ではパリ地下鉄公団(RATP)1社が運営する、パリのメトロとバス路線。
その昔は私鉄が何社も入り乱れ、それぞれの線を仕切っていたらしい(RATPの統括になったのは第2次世界大戦後)。Nord-Sud線は現在のメトロ12番線に当たり、Sèvres-Croix-Rouge駅とは現行のSèvres-Babylone駅を指すのだと。

腑に落ちないのが、デパート外観のイラスト。宣伝用の誇張にしても、大きすぎやしないか?!特に奥行きが長過ぎるような… と思ったら、1887年に終えた拡張工事の後には、52.800m2もの巨大デパートになっていたということが判明。

(Wikimedia Commonsより画像拝借)

現店舗の総床面積は32.000m2なので、当時は今の1,5倍以上の規模だったということだ。巨大!

「世界最古のデパート」というと、建築物の古さの事だと誤解されがちだけれど、デパートという「小売りの仕組み」が誕生したのが、このボン・マルシェ。

「客が自由に店舗に出入りする権利」「客が自由に商品を触る権利」、そして「商品価格は明示されている」という、現代では当たり前になっている3大基本原則を発案したのが、創業者のBoucicaut夫妻。

その後、「購入商品の返品と交換の受付」「配送サービス」「カタログ通信販売」「季節の特別大売り出し(セール)」「効果的なプレス露出や商品サンプルつき広告」「従業員に対する各種手当」と、様々な小売革命がここで生まれ、現代まで引き継がれているのだ。