パリ12区(Av. Ledru Rollin)のブロカント | 2019/12

リヨン駅から少し歩いた大通り沿いでのブロカント。7ヶ月ぶりの訪問だ。
まだストライキ中なので、電車の走る時間帯と動いている路線を調べてから出かける。

古本スタンドで熱心に物色する、ファーをまとった長身の女性が見えた。ヴィンテージ服ディーラーのLだ。

「さっき着いたばっかりでまだ品物を出してないんだよね」と言う。14時すぎである。自分のスタンドができていなくても古書を探しに行っちゃうところが彼女らしい。

スタンドに行くと、本当に全然なにも準備されていなかった。あとで寄るから、とLに言い残して先へ進む。


軍ものスタンドのGとHが、薄暗いスタンドの奥で寒そうに身を屈めてそれぞれ座っていた。

仕入れたばかりだという古い乗馬パンツの束の中に、あざやかな藍色の薄手の生地を見つける。型紙やボタンの質(ベークライト製)やベルト金具の細工模様から、1930年代あたりの品だとピンときた。

1930s Bleu de Chine

これはもしや、1920-30年代に中国大陸内陸部からの移民労働者が着ていたセットアップの、パンツの方ではないか?上着はごくたまに見かけるのだが(超高価)、同じ生地だ。

フロントはボタンフライで、一番下のボタンホールはかがっただけでまだ穴が空けられていない、未完成の状態。見たところ色落ちもなく(洗った時にかなり濃い色が出た)、デッドストックだったようだ。ゴダール監督の「中国女」で、アンナ・カリーナが着ていそうなパンツ。バンド・デシネ「タンタン」シリーズの、「Le Lotus bleu」の中にも描かれている。

同じくGのスタンドで、黒いモールスキンの女性用ジャケットも見つけた。これも1930年代あたりのもの。

1930s 黒モールスキンジャケット

エポーレットとポケットのボタンが欠けているので、手持ちの似た素材のものに付け替えようとして、あることに気づいた。

これ、元々はチェーン式のカフリンクスボタン(袖以外の場所につけるボタンもカフリンクスと呼ぶのだろうか)をつけるように縫製されているのでは?ボタンをつける場所に全て、4ミリほどの極小ボタンホールが空けられている。

前の持ち主は極小ボタンホールを避けて器用にボタンを縫いつけているので、とりあえずそれに習って修理した。カフリンクス用の素材が見つかったら、本来そうであったろう姿に、戻してみようかと思う。


たまに見かける趣味のいい美術品スタンド(ブロカントのスタンドとしては高価な品ぞろえだが、しれっとマックス・エルンストやフランソワ・スーラージュの版画小品があったりする)で、小さな額入りの作品を見つけた。何かはわからないのだけれど、抗いがたい魅力を感じるイラストだった。

19世紀のCarnet de bal
19世紀のCarnet de bal

19世紀のCarnet de bal(カルネ・ドゥ・バル)。
公開舞踏会で1820年代から広まったもので、ご婦人方が、その晩のダンスのプログラムと各ダンスのパートナーの覚え書きをした、小さなノートである。最初はご婦人用だったのが、のちに男性の側にも広まったという。

未使用なのか興味を惹かれたので、撮影のついでに額を開いてみた。
イラストの描かれている面は、どうやらノートの表紙だ。中の紙は無地で、羽ペンでダンスの種類が記されている…ということは、使ってある!(うれしい!)

Carnet de balは最初、扇子の裏に直接パートナー名を書くという簡素なスタイルだった。それがのちには、真珠層や象牙や銀などを薄い板状に加工したものを綴じて、品質とデザインを競うまでになる。

1840年から1865年まではcarnet de balがcarte porcelaine(カルト・ポースレーヌ。鉛白を使った石版印刷で刷られた名刺で、表面が磁器のように白く輝いて見える)に取って代わられることが多かったが、鉛白は鉛中毒を起こし著しく健康を害するため、1865年には製造を禁止される。

私の買ったこのカルネは普通の紙を閉じたタイプである。おそらく鉛白印刷が禁止になった後の、19世紀後半のものだろうな。表紙の彩色は持ち主のご婦人が施したのだろうか、それとも、のちのコレクターによるものだろうか。Faber-Castellの鉛筆がついているのもニクい。

店主が個人コレクションを手放すことにしたということで値段も高かったけれど、これは買わないと一生後悔すると思った。