パリ3区(rue de Bretagne)のブロカント | 2018/06

前回からは半年ぶり、初夏に来るのは2年ぶりである。
道路工事の都合か何かで、例年よりも1ヶ月ほど遅い開催だった。

よりにもよって酷暑で大変な週末で、いつもなら2度は訪れるほど好きなブロカントなのに、1度しか行かなかった。午後に行ったら倒れるんじゃないかと思うくらい、暑かったのだ。

最初に見つけたのは、1950年代のエプロン。
同じ布で作られているのを3枚買った。

ポケットの形が3枚すべてちがっていて、面白い。

同じスタンドで、黒のレース編みのスカーフも買う。

戦前のものだろうとは思うけれど、はっきりとした時代は分からない。
エプロンもスカーフも、秋の神戸でのポップアップストアに持っていく予定。


1960年代のDanskのミルクパンを、青と赤の大小2つ。
木の持ち手の形がかわいい。彫刻のような趣のある鍋だ。


今回は特に、衣類を売るスタンドが多い印象だった。
おそらく初めて見る大きめのスタンドに、UTA(Union de Transports Aériens)のスチュワーデスの制服が。

UTAは、1963年にUAT(Union Aéromaritime de Transport)社とTAI(Transports Aériens Intercontinentaux)の後継として誕生。
1990年にエールフランスに合併されるまで、フランス第2の国営航空会社だった。

Christian DiorデザインのUTA制服(1980年代)は見たことがあったのだけれど、この日に見つけたのはなんと、エルメスのデザイン。

1978年から1980年代にかけて採用されていたワンピースで、エルメスのタグも健在。シルクかと思うような(接客でも「シルクです」と言われた)上質のポリエステル生地だ。

UTAの制服デザインは、1968年にはピエール・カルダン、1973年にはアンドレ・クレージュが担当し、常にモード最前線のポップでカラフルな路線をひた走っていた。ただし、流行の移り変わりが激しい時代でもあったので、すぐにデザインが古臭くなってしまう、という悩みも抱えていた。

そこで1970年代後半以降は、ニナ・リッチやエルメスやクリスチャン・ディオールによる、よりクラシックなスタイルの制服を採用するようになる。

このエルメスのワンピース、前中央のウエストの下にファスナーが縦についている。男性用の服でもないのに、と不思議に思っていた。

数日後、これは現代で言うところの、ワンピースの左脇につく隠しファスナーだ、とピンときた。タイトな型なので、ここを開けた状態で着て、最後にファスナーとボタンを留めるのだ。

ボタンをあと2個ほど増やして大きく開くようにすれば同じことなのだが、ボタンは動くと外れやすいし、デザインが野暮ったくなるしということで、ファスナーになったんだろう。

UTAのロゴが四つ葉のクローバーに組み込まれたモチーフがプリントされている。

背中から前に回すベルトは途切れていて、前部分の長さがあきらかに足りない。

ネットで見つけた着用写真によれば、ベルト前面に黒のレザー部分がある。
この足りないパーツさえ自分で作れば、完璧ってことだ(来年の航空ショーに着ていく気満々)。色ちがいのグリーンも、なかなかよいな。


最後は、ヴィンテージ服マニアのLのスタンドへ。
彼女は早起きが似合わないタイプで、12時前にスタンドを開けているのを、見たことがない。

あいさつの後に今日の収穫を訊かれ、UTAの制服を見せて話した流れで、彼女が元スチュワーデスだったことを知る。
地上勤務に移動になって嫌気がさして退職し、バイトでモデルをしているうちにヴィンテージ服にはまって、今の仕事になった、とか言っていたような。
どうりで背が高くてゴージャスで、接客の笑顔が板についているわけだ。

Lのところでは、1ヶ月以上前から欲しいと思っていた品を、とうとう入手した。
1930年代のアール・デコ、ゴールドの金属糸で編まれたカーディガン。

これを仕入れた時に、私のことを思い出してくれた(これと似た雰囲気の袖なしボレロを買ったことがある)と聞いてから、楽しみにしていた。
いざ現物を見せてもらったら、ひと目惚れだった。
迷っているうちに月日が経ってしまったけれど、私に縁があってよかった。

長く細くすぼまった袖の先に小さなスナップボタンがついていることに、試着して初めて気づく。

やや黒ずんでいたのを、思い切って手洗いしたら、2段階ほど明るい色になった。