パリ20区(rue des Pyrénées)のブロカント | 2017/04

こちらも、3ヶ月ぶりに訪問した20区

土曜日の昼前。友人Mさんから、どこかブロカントに一緒に行きましょう、とのお誘いが。

「18区のCaulaincourt通りのブロカントが良さそうだから、最寄り駅で待ち合わせましょう!」と伝え、早めに駅に着いて周囲を見渡すと、なんだか様子が変… ブロカントの日にしては人通りが少なすぎる。

階段を登り、開催場所の道沿いまで出て、自分の勘ちがいに気づく。
18区のブロカントは日曜日のみ開催だった、しまった!!

Mさんが現れた瞬間、あいさつもそこそこに「すみませんまちがえました~」と、マヌケなお詫びを。20区のピレネー通りのブロカントならここからそう遠くないので、そちらに行くことを提案し、3人でゾロゾロ移動。

夫は「あ、またやりよった」という顔で私を見ている。
そう、私は年に数度、こういう勘ちがいするのだ。郊外の遠いところじゃなくて、まだよかった。

さて、駅を出ると、歩道にごちゃごちゃと並ぶスタンド。
下町20区の住民バザーらしく、並べてある品物は、日用品がほとんど。

古い写真やカードを売っているスタンドを見つけた。

1910年代の撮影と思われる、carte photo(裏側がハガキ仕様になった印画紙に現像した写真)。制服姿の兵士の集合写真で、ここにも私の好きなリネンの作業着が。なるほど、こういう風にウールの上着の上からも被って着るから、かなりのオーバーサイズなのか。

前列右から2番目の兵士はこの日の調理係らしく、ジャガイモの皮むきをしている。12区で先日買った着色ハガキに続き、ジャガイモ皮むきの絵が2枚に。

そこから少し歩いて着いた広場(おそらくPlace des Grandes Rigoles)には、古い品物を扱うスタンドが集まっていた。

灰皿コレクターだったと思しき男性のスタンドで、アール・デコなデザインの灰皿に目を奪われた。

ベルギー南部のSiraultという町でタイル貼りと建材販売業を営んでいた、Brunin et Fils(et Filsは& sonsと同じ意味で、父子2代の家族経営)という企業。そこの宣伝広告用品。

この企業は今でも続いているのかなと調べてみたら、タイル貼りや内装業を営むBrunin Frères社という企業の存在を確認。Siraultから35kmほどの町Quartesにある、兄弟経営の企業だ。
もしかしたら、4〜5代目まで続いているのかもしれない(同姓の別人なのかもしれないけれど)。

この企業の電話番号が、「50」の2桁のみ。

フランスとベルギーに電話システムが敷かれたのは1886年。
フランスで、通話先を名前でなく番号で交換手に告げるようになったのが1897年以降。
でも、ベルギーの電話番号発展の歴史についての記録が見つからない。
灰皿の製造年代がこれでは特定できない…

裏面にはMade in Belgiumと「CER BEL」の刻印が。
中央の1文字が消えていてわからないので空白のまま検索したら、あった!
CERABELという陶磁器メーカーが、ベルギーに!

でもこのメーカーの情報も乏しい、1934年にBaudour窯を吸収合併したことくらいしかわからない。

BaudourはSiraultから4kmほどの距離だから、会社の近所のBaudour窯で作らせた灰皿だと仮に考えると、1930年代後半だろうか。
その時代にベルギーの電話番号が2桁だったことが分かれば、確実。

去年Barjacで買ったアール・デコの灰皿の質感やデザインに共通するものを感じるし、1930年代だろうな。ステンシル文字の素朴な雰囲気が、文字好きにはたまらない。

最後に、道路にじかに品物を並べていた女性から、アルミの皿を買った。

このシンプルなアルミ皿は、調理中に刻んだ材料を一時的に入れておいたり、サラダボウルの蓋として使ったり、と重宝する。軽いし、見た目もちょうどいい感じにチープでいい。

すでに1枚だけ持っていたのだけれど(いつ買ったんだろう… 「アルミ」タグをつけ忘れたのか、それとも記事に書かなかったのか、ブログ内検索でも出てこない)、これで4枚になった。1940~1950年代ごろまでの品物かな。