パリ9区(rue des Martyrs)のブロカント | 2016/03

このMartyrs通りのブロカントは大好きなのだが、商店街のただでさえ狭い歩道にスタンドが無理やり並び、ここで他人にぶつからずに歩けるのはジェダイくらいだと思う。

午後は買い物カートもベビーカーも多いので、サクサク見て回りたい人は早朝に行くことをお勧めする。

この日は、なじみの軍物スタンド2軒を訪問するのが目的だったので、めずらしく午前中に到着。

一見マフラーに見えるグレーとキャメルのウール地は、1956年のフランス軍兵士が使っていたタイプの腹巻き(寒冷地の兵役の際に、サラシのようにお腹に巻いていたらしい)のデッドストック。

長さも幅も襟巻きとしてちょうどいいので、襟巻きにする。状態の良いのを複数入手したので、秋の神戸での出張ブロカント「アチコチズ」に持って行くつもり。

こちらはポルトガル軍の綿シャツ、1950年代製。
最初は売り主も「多分ポルトガル軍かスペイン軍だけど、どっちかはっきり分からない」と言っていたのだが、名札がギリギリ読める状態の物が1点あって、ポルトガルの名前だと判明。

Marques(マルケス)と書かれている。語尾がSでなくてZなら、スペイン名だった。サイズぴったりで肌触りも良くて、思いのほか気に入っている。

バスク7州を表す、7本ストライプ入りのふきん。
バスクのふきんは何点も所有しているのに、最もメジャーな7本ストライプのデザインの物は、まだ持っていなかった。

複雑な織り地模様の分厚いタイプが主流になる前のデザインで、1920年代頃の物ではないかと言われた。MOというイニシャルが刺繍されている。バスク人の名前なら、例えばマリー・オテイザさんとか?

紙ものとティン缶の趣味が抜群にいい、何度か買い物をしている男性のスタンドで購入したもの。3区と5区と7区と9区、出店場所の趣味もいいんだ、この人は。

彼自身が古物コレクターで、ダブって持っている品を細々と手放すという感じの売り方。まちがいなくいい物を売っているし、説明を聞いているうちに、つい買ってしまう。

1920年頃のビストロのカウンターで撮影された写真。
このような大きなサイズで鮮明に残っているのは貴重。古い写真コレクターの夫が、即決で購入。

右手前の男性が被っている制帽にHenri Esders(アンリ・エスデール)というロゴが読め、調べてみると、当時ベルギーとフランスにあった、服飾デパートの1つらしい。パリ店はリヴォリ通り124番地、現在は服飾チェーン店C&Aになっている建物がEsdersだったと。

帽子を被ったり手に持ったりしている男性3名は、おそらくデパートのドアマン。横縞のシルクニットタイがお洒落だ!

カウンター奥には日めくりカレンダーがあり、1月31日水曜日、と辛うじて読める。1920年あたりで1月31日が水曜日だった年は、1917年か1923年。どちらかの年に撮影されたと思われる。みなさん黒い服でビシッとしているので、何かのセレモニーの記念写真かな。

オルレアン鉄道(国鉄SNCFが出来る前の、パリと地方を結ぶ鉄道の1つ。1838年創業、1938年に消滅)の豪華寝台車の宣伝フライヤー。

「洗面台もトイレも個室に完備、隣り合う個室同士で行き来が可能(ホテルのスイート仕様みたいなものか)」だそう。
上の図が昼間、下の図が寝台バージョン。

1910年より前なのは確実ということで、書体やデザインの雰囲気から、1880年から1890年頃の物だと推測。

昼間のイラストでは空間を広く明るく見せるよう、夜のイラストはベッドがゆったり大きいことを強調できるように、それぞれ角度を変えて描かれているのが面白い。

こちらも鉄道関係の印刷物。

PLM(パリ-リヨン-メディテラネー。パリからリヨン経由で地中海地方に至る鉄道線)線発行の、アルプスルート第3段階(ブリアンソン-グルノーブル間)の道路地図。

1920年代のもの。昔の地図って、なんかかわいい。