パリ12区(Bd. de Reuilly)のブロカント | 2015/07

4年も来ていなかったとは、12区のReuilly通り。

知人のスタンドで、19世紀のナプキンとトーションを購入。
生真面目さがにじみ出るようなイニシャルの刺繍がいい。

銀と錫の合金製、1930年頃のデザートフォークとスプーン。

錫の入った品はたいがい高価なのだが、雨が降りそうで焦っていたのか、それともさっさと帰りたかったのか、迷う間もなく値引き額を提示された。
午後も遅くに行くと、こういうラッキーなこともある。
柄の裏の「JP」の彫り文字に、日本人として勝手な親近感を覚える。

この日の目的は、2週間前に知人から買った歌川広重のハガキと同じシリーズの、3枚組中の残り2枚を引き取ること。

最初に買ったのは、東海道五十三次の43番目「桑名」だった。

調べてみたら、新たに買い足した2枚は、東海道五十三次シリーズではないようだ。

とは言え、これは東海道五十三次の44番目「四日市」に、樹木の描写が似ている。

こちらは鳥居が描かれているので、7番目の「藤沢」に似ている?

3枚を選び買い求め額装したのは見知らぬ昔のフランス人、なんとも渋い趣味の持ち主だと感心。

当時の西洋人から見れば、密度スッカスカでたよりない構図だろうと思うのだが、独特の平面の扱い方と「間の美学」に強く惹かれたであろうことが、うかがえる。

選び抜かれた線と、紙の白(黄色く変色しているけれど)の生かし方が、完璧である。

裏面の文字が「きかは便郵」となっているので、1933年より前に刷られたのは確実(書き言葉に濁点を付けるようになったのは昭和8年以降)。

さらに、広重シリーズのカードは当時、英語・フランス語・ドイツ語等で作られていた(印刷は日本またはドイツで行われた物が多い。私が買った3枚は日本での印刷)らしく、1907年神戸局消印の画像を見つけた。

ジャポニズム旋風が市民階級にまで浸透したのが1900年より少し前、このハガキは1900年ごろに作られたのだろう。もしかしたら、万国博出展の機会に販売された品かもしれない。絵の下にあるキャプションがフランス語というのが、時代を表すようで面白い。

画像だと分かりにくいのだが、木版刷りである。
彩度がやたらと低いのは、紙の変色と顔料の経年劣化のせいだと思われる。
それにしても100年以上、よく生き残ったものだ。