パリ15区(rue Lecourbe)のブロカント | 2015/05

5月初めの雨模様の日に訪れた、パリ15区Lecourbe通りのブロカント。

フランスの真ん中辺りに位置するCher県のSaint-Amand(おそらく現在のSaint-Amand-Montrond)にあった、Biscuits Leroyというビスケット製造会社の広告用の皿。1890年代のもの。

文字入りオブジェ好きには、あらがい難い魅力だ。
想像どおり高価だったので、いったん離れて考えまくった末、早足で戻って来て買う。

中学生がノートの端に鉛筆で描いたようなレタリングがいい、なんだかおいしそうに見える。

同じスタンドで見つけた、パリ右岸のデパートSamaritaine(2015年現在も閉鎖中)の広告皿も、1890年代製。

大きめのソーサーなのかと思った(昔のソーサーには中央のくぼみ部分が広い物がある)が、売り主の男性によるとアントルメ用だとか。

アントルメ(Entremets)の語源は、食事の最中に出される料理(mets)の間(entre)に供される軽い品で、「(その時のメニューを構成する要素としての)料理とは言えないが、気分を変えるための口直し」という位置づけ。幕間の余興のような。

画像はWikipediaより

中世末期頃のアントルメは、挽き割り小麦の粥(牛乳や卵やブイヨンで煮る)に、ドライフルーツなどを加えたものだったらしい。

17世紀には、主菜の肉のロースト料理とデザートの間に供された品を指すようになり、アカデミー・フランセーズの初版辞書(1694年発行)には「ロースト料理の後、かつ果物の前に出されるのがアントルメであり、一般的には煮込み料理である」とも記されているという。
メインの肉を食べ終えた後に、食べる何か軽めのひと皿、という感覚か。

19世紀になると、アントルメはロースト肉と同時に供されるようになり(コースに正式に組み込まれたと考えると、格上げ?)、「緑のアントルメ(サラダ、または火の通った野菜)」と「甘味のアントルメ」の2種が存在、こまごまと2種計8品が供されることもあったという。

20世紀に入り、アントルメとはすなわち「甘味のアントルメ」を指すようになり、「温アントルメ(温かいクリーム、スフレ、プディング、クレープ、シャルロット、甘いオムレツ、ベニエ、パイ包み焼き、焼きフルーツ等)」「冷アントルメ(冷たいクリーム、フラン、バヴァロワ、シャルロット、プディング、ジュレ等)」「アイスのアントルメ(アイスクリーム、シャーベット、パフェ、ムース、アイスケーキ、アイスビスケット、アイススフレ等)」の3種に分化。

要は、焼き菓子以外の、食感の軽い簡単な甘味を指したようである。大きな晩餐会などでは、チーズの後にアントルメ、その後に主役のデザート(より豪華な焼き菓子)が出された、と。

さて、私が買ったSamaritaineのアントルメ皿が作られたのは19世紀なので、「緑のアントルメ&甘味のアントルメ」時代のもの。

なるほど、サラダや小さめの甘味を上品なポーションで取り分けるには、ちょうど良い大きさか。ふちの金彩も残っていてうれしい。

ちなみに私は小麦粉の焼き菓子が苦手なので、我が家でデザートを用意する際は、ほぼ自動的にアントルメのケーキ(どこかで買ってくる)になる。

銀メッキの柄に、金属製の刃が付いたナイフ。
バターやスプレッドをのばして塗るためのナイフ?バターナイフにしては大きめで、刃の形が複雑なような気もする。

1930年代のToursのリエット販売用の陶製瓶。
貴重な蓋つきの品を、夫が目ざとく発見。

欠けも傷も無い、完璧な保存状態。
売り主がスタンドの売上金入れとして使っていたのを譲ってもらったので、中身を移動させる羽目になってしまって、もうしわけない。

半年ほど前に買った容器と同じで、ひと回り大きいサイズ。
どんな蓋がついていたのかとずっと想像していたけれど、こんなに繊細なデザインの持ち手だったとは、意外だ。

小さい方にはリエット約200gが入る(肉屋で買って来たリエットで実測済み)ので、今回買った方は容量280〜300gくらい?

がっちりした武将が使うと似合いそうな、分厚いグラス。
「これでもか!」という勢いで気泡が散りばめられている。19世紀の品。

星空のようにも見える。濃い色の赤ワインを入れたら綺麗だろうな。
ものすごく重いので、花を生けるのにも安定していいかも。