パリ4区(Village Saint-Paul)のブロカント | 2018/05

天気がイマイチ、されど他の予定も特にないので4区のブロカントへ。
ヴィンテージ服マニアのLと彼女の友人(彼らはときどき一緒にスタンドを構えている)と、3人で喋って盛り上がった後、紙もの専門ディーラーのDに会う。このまえ会ってから3日しか経っていないので、さすがに欲しいものはないだろうと思ったら、あった!

Projet d’une voie de communication entre Le Palais de Tuileries et le Boulevart des Italiens
indiquant le choix d’un Emplacement pour la Construction d’un Théâtre d’Opéra définitif
et comportant le moyen d’effectuer d’une manière complète l’applanissement de la butte St.Roch dite des Moulins
par H. Barnout, Architecte
1856-1858

チュイルリー宮とイタリアン大通りを結ぶ交通路敷設計画書
新オペラ座建設地の提案およびサン=ロックの丘(通称ムーラン)の造成工事法を含む

というタイトルの、パリ市の広報書類である。見るからに掲示板サイズ。
Saint-Roch教会のあたりって丘陵地だったのか、知らなかった。言われてみればあの教会、他の同じ規模の教会に比べても、入り口の階段が奇妙に多いなとは思っていた。教会や寺院というものは元来、見通しの良い小高い丘に建てるものだったな。

真ん中で目立つ方の新道路プランは、メトロRichelieu-Drout駅の北側からルーヴル宮に向かう「皇帝通り」という大通りを敷く計画。今ではDrouotオークション取引場が建つ区画には、1821年建設のペルティエ・オペラ座(Opéra Le Peletier)があった。

(Peletierのオペラ座↑)

当時まだ現役だったオペラ座の敷地内になぜ、「新オペラ座計画地」と書かれているのか不思議… 実はペルティエ・オペラ座は、1年の短い工期で建てられた間に合わせの仮建築だった。これを取り壊して建て直すという計画ならば納得。

1858年1月、皇帝ナポレオン3世はペルティエ・オペラ座でテロリストの標的になり、かろうじて生き延びるという憂き目に遭う。この事件をきっかけに、テロリストの侵入を許さぬよう、オペラ座前に広大な道路と見通しの良い広場を作るべきだという結論に至る。不特定多数が集まる娯楽場での、安全確保の必要に駆られたのが19世紀中盤という時代だったのだろう。

しかし、こちらの道路案は不採用だったよう。現在の地図と重ねてみるとよくわかるが、こんなところに大通りはない。

紙面左側の道路案は、採用されて現在に至る「オペラ大通り」である。円形の広場の左側に小さく「B」という印があり、「先の広報251号でBrey氏が提出した新オペラ座の建設候補地」と書かれている。opéraという文字の部分の紙が削られて、上からペンで書かれているのがまた面白い、修正前には何が書かれていたのだろう。

この計画のままだと、オペラ座は現在のCafé de la Paixの場所に建ったことになる。が、1861年にはLe Grand Hôtelの建設が始まり(1867年のパリ万博に間に合わせたかった)、この建設候補地はあっさり消えてしまう。

最終的にいまある場所に新オペラ座を建てることになるのだが、ナポレオン3世は1870年に玉座を追われ第三共和制が始まり、工事は中断。約2年半後にはペルティエのオペラ座が火災で焼失。その後、第三共和制の指揮のもと工事が再開され、1875年にやっと完成した。

オペラ大通りは1876年より建設開始。まず最初に建物を作って、後から道を整備したんだな。なるほどこれで、昔タクシーのベテラン運転手から聞いた逸話がリアリティーを帯びてくる。オペラ座をデザインした建築家、シャルル・ガルニエは、自分の傑作が並木に隠れるのを嫌がったために、並木が1本もないパリで唯一の大通りがこのオペラ大通りになった、という話。先に道路を作っていたら、道路の環境の方が優先されたであろう。

現在のピラミッド広場あたりは皇后広場という名で拡張計画されていたのだが、第三共和制には皇后はいないので消滅。

NOTA
Conformément à la Notice, d’une part, et à son Post-Scriptum de l’autre, ce plan indique deux emplacements pour recevoir le Théâtre d’Opéra définitif, l’un, se rattachant uniquement à la VOIE IMPÉRIALE projetée, l’autre, se rattachant, en outre, tant à l’éxecution du Boulevart projeté qui se dirigerait sur les Batignolles, qu’au prolongement direct de la rue de Lafayette.
Il est facile de supprimer, par la pensée, l’un de ces deux emplacement, ainsi que tout ce qui est relatif, pour bien saisir les dispositions de l’autre.
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A. Ilot de maisons dont la démolition formerait, dans l’un des projets, une vaste place au devant du Théâtre qui aurait alors sa façade sur la rue Laffitte.

文章中にBoulevart(Boulevard)とかapplanissement(aplanissement)とかいう古風な綴りが出てくるのもいい。打つたびに機械に綴りを自動修正されるので困ったけど。