パリ13区(Bd. Auguste-Blanqui)のブロカント | 2018/01

1月後半に訪れた13区の高架下のブロカント

Dのところでまたパリの地図を買う。2枚も。

パリと郊外を合わせたセーヌ県の地図で、1880年発行のAtlas Migeonの一部だという。
1790年にパリ県という地域のまとまりが作られ、1795年にセーヌ県と改名。その後90年の間に色々な改変がなされたが、1880年にSaint-Denis支庁とSceaux支庁がSeine県庁管轄下に吸収される。1968年にセーヌ県は廃止(市民生活の利便を図るというよりも、第五共和政に対する反権力層の分散を目的とした、政治的な理由が大きかった)、パリ市の外側はHauts-de-Seine県、Seine-Saint-Denis県、Val-de-Marne県に分割される。
地図の周囲にはジョルジュ・サンド、モリエール、ヴォルテールら、各地に所縁のある著名人の肖像画が。

もう1枚は、1911年のパリ市社会福祉局管轄の病院施設一覧地図。
当時のパリ市の人口密度の割には病院が多いような気がするのだが(このほかに私立の病院もある)、貧困に苦しむ市民らの衛生状況は相当に悪かっただろうし、薬も現代ほどには揃っていなかった時代、倒れたら病院で寝かせて安静にするくらいしかなかったのだろうな、と推測。富裕層は田舎の静養地に別荘があるから、パリにしがみついて働かなくてもいいし。元はカトリック教会運営の孤児院や、王が設立した盲者施療院や、貧しい未亡人の救貧院だった施設が、後年に病院として使われるようになった例が少なくないようだ。
13区のピティエ病院が、路上生活の貧民をまとめて組織的に収容するために17世紀に作られた、という事実には驚く。路上の乞食が不衛生で目障りだからとりあえず箱を作って閉じ込めろ、という政策だったらしい。

オテル=デュー病院はパリの最も古い病院だと言われていて、7世紀中頃には原型が存在していたそうだ。
パリ左岸に病院と大学が多いのは前から知っていたのだけれど、右岸の官公庁周辺と高級住宅街には1件だけである。病人と貧民はここまで忌み嫌われていたのだな。ペスト、らい病などの伝染病専門施設は、パリ市内に少しと郊外にあったという。いっぽうで慈悲深い自覚のある富裕層の一部は、せっせと孤児院をパリの中心や東側に作ったりもした。

地図裏面の左側には「パリ社会福祉局管轄施設の地図」の文字列、1行ごとに書体が違っているのが面白いし、詩的にさえ見える(アポリネールの「カリグラム」を思わせるような)。左端が縦に切れているのは、元の持ち主が台紙から切り取ったからのようだ。
もう片側には、牛の絵の広告。

貧血、神経症、肺結核の治療に
生の牛肉の純粋なエッセンス
Musculosine Byla

結核に有効な治療法が発見されたのは戦後だというから、それ以前は滋養のあるものを食べて安静にして回復を待つしかなかったんだな。
牛肉エッセンスの効果はいかほどだったのだろう。

ただの四角で素っ気なく表現されているものの、エッフェル塔は既にある。

アルフレッド・フィエロ著 鹿島茂による監訳「パリ歴史事典(普及版)
を参考にしました。個人が一生かかっても調べられない膨大な量の知識を、数千円で手元に置いて好きなだけ読めるなんて、書籍のある時代に生まれてきて本当に幸せだと思う。Kindleもあれば欲しいのに。