パリ5区(Av. des Gobelins)のブロカント | 2017/12

半年ぶりの5区のブロカント。凄まじく寒い日で、人出もまばらである。

知人Tのスタンドも閑散としていた。しばらく世間話をしただけで、何も買わずに去る。
しばらく歩いて紙もの専門のDのスタンドに辿り着いたら、肝心の本人が見当たらない。
見たことのない男性が店番のように立っているので、今日はDは来ないのかと訊くと、「さっきランチに行ったからあと20分くらいで戻ると思う!」と言う。
先に他のスタンドを見て回ってからもう1度訪れると、温かい食事の後で普段よりもさらにご機嫌な笑顔のDがいた。

この日はパリの古い地図が4点以上も売りに出されていた。予算の都合もあり全部は買えず、苦しみながら2枚だけ選んだ。

カラフルに彩色された1880年の地図。もちろんエッフェル塔の建造前なので、Champ de Marsは単なる四角い広場。
グラン・パレプチ・パレもなくて(どちらも1900年のパリ万博のために建設)、この2つの建物の間を通る道自体がまだ存在しない。金ピカのアレクサンドル3世橋もない。グラン・パレのあったあたりにはPalais de l’Industrie(工業会館)という建物がある。1855年のパリ万博用に作られ1896年に解体された、グラン・パレとプチ・パレの先輩。河岸の道の名も今とは違い、Quai de la Conférence(現在の名称はCours Albert 1erとCours la Reine)。

右端の方にHalle aux vins(ワイン卸売り市場)の文字があることに今になって気づいた、ここは今のパリ第6大学、別名Pierre et Marie Curie大学がある敷地だ。フランス国内の各生産地から船で運ばれたワイン樽の商いが、17世紀から300年も行われていたという。

墨と朱色の2色刷りの方は1881年の地図。13区の端っこはLa Gareと呼ばれる一角だったらしい。今でもSNCFの大きな車庫があるので、「あの辺は駅(くらいしかない)」という感覚だったのだろうな。

そしてこの2枚の地図の補強のために厚紙として入っていたリトグラフがまた良い!半分に切られてしまっているのがなんとも残念ではあるが、これはグラン・パレとプチ・パレをセーヌの側から描いたものだ。湿度高めのグレーの空、遠くに見えるシャンゼリゼの赤い照明の賑わい、冬のパリの様子を見事に表現している。

最近になって海賊の歴史に夢中になっている夫は、17世紀のマダガスカルの地図を見つけて購入していた。宝探しに行けそうな雰囲気の地図。マダガスカル島は、発見当時にはサン・ローラン島と名付けられたことを初めて知った。聖人ローランの日に見つけたから、なんだそうだ。

最後に、このブロカントに到着してすぐに目を留めたブローチがやっぱりどうしても気になって、そのスタンドに戻った。

奈良出身だからか、鹿の絵につい惹かれる。裏側にアーティストのサインが入っているからあまり値引きは出来ないと言われつつ見せてもらうと、エルテのサインが。

19世紀末にロシア生まれのRomain de Tirtoff、通称Ertéで知られる芸術家。本名のイニシャルR.T.のフランス語読み「エール・テー」を、同じ音になるよう綴り直してErtéという作家名を名乗った。ファッション誌Harper’s Bazarに寄せたイラストが特に有名、「アール・デコの父」と称えられ、演劇の衣装デザインや舞台装飾デザイン、工芸品や宝飾品なども手がけた。彼の作品のコレクターは世界中にいるので、今でも非常に高価である。こんなお宝が、街のブロカントにひょっこり現れるとは到底思えない。


鹿の脚の表現などはまさにエルテという印象、左右対称の構図や渦巻き模様も彼の作風(ちょっと不器用な感じもするが)なのだが、サインは完全に一致というわけではない。
紙に描いた絵につけるサインと、反った陶器の肌に釉薬で書くサインが少し違ってくるのはむしろ自然とも言えるのだけれど。エルテが有名になる前(パリで学生だった時代)に課題か遊びで作ったものかもしれないという100万分の1くらいの可能性を思うと、少しワクワクする。
有名なエルテの振りをしたかった誰かの作った偽物だとしたら、サインを明らかに似せる努力をしたと思うのだが、どうなんだろう?もしくは、冗談で作ったはいいものの相手は有名人、贋作で訴えられたらまずいので、ちゃんと偽物と分かるようにサインを変形させた、とかいう可能性もあるのか。真鍮の金具部分の作りなどから、作られた時代は1930年代くらいまでだろう。
いずれにせよ、このブローチの絵はとても好きなので、「本物のエルテかもしれない」と想像と夢想を膨らませている。こういうのがアンティーク蒐集のロマンでもある。