パリ3区(rue de Bretagne)のブロカント | 2017/11 後編

パリ3区のブロカント後編。
開催日2日目の土曜日。5区に住む夫の従兄弟と待ち合わせて3人で現地に着くや否や、雨が降り出した。天気予報では午後から雨模様ということだったのに、相変わらずの当たらなさ…
小雨を避けようと屋根のあるスタンドの方へ近寄ると、エールフランスのシルクのスカーフが目に入った。

オプ・アートで有名なベネズエラ出身のアーティストJesus-Rafael Sotoによるデザインのもので、角に薄いシミがあるもののなかなか良い状態。1970年代の品物。
エールフランスのスカーフはなんとなく集めてしまう、確かこれで3つ目だと思う。

スカーフを買ってスタンドを出る頃には既に小雨ではなく、大雨がじゃんじゃん降っている。通り雨であることを願いカフェのカウンターでコーヒーを立ち飲みしていたが、雨雲は居座ったままである。カフェはランチ客で混んできたし、サービス係の動線を邪魔しているようで長居しづらい。思い切って外に出たものの明らかに暴風雨、この日は解散して翌日に仕切り直すことに。私はなんだかこのまま帰るのが悔しいのでひとりでルーヴル美術館に寄ったら、途中からみるみる晴れてきた。なんてことだ。夫の家系は雨男ばかりなのか。

当たらない天気予報が晴れだと言う、翌日の日曜日。同じ場所で待ち合わせ、同じようにクロワッサンを食べ、3人で端から順にスタンドを回る。

Tのスタンドで小さめのモールスキン地ワークジャケット1着と、大きめのパンツ2本を発見。この後、離れた別のスタンドでさらに小さいサイズのジャケット2着を見つけ、モールスキンのジャケットはデッドストックで合計3着を入手した。いずれも1950年代から1960年代ごろのもので、来年のポップアップストアに持っていく目玉商品が着々と集まっている。

ヴィンテージ服マニアの女性Lのスタンドでは、挨拶もそこそこに、1930年代の紺色のボレロに心を射抜かれる。留め具のフォルムといい材質といい、背中側の襟ぐりから流れるプリーツといい、袖のボリュームといい、なんと素敵なアール・デコのボレロ!生地は合成繊維ながら、シルクタフタのような光沢とエレガントさがある。袖のギャザー部分は手作業で縫われている。ちょっと高かったけれど、これは買ってよかった。Lは「これすごく好きな服だけどあなたが買ってくれてよかった、着ているところを見られるだろうから」と言う。わかる、服好きの服屋はみんなそんな感じだ、惚れ込んで仕入れた思い入れの深い1着が売れるのは嬉しいけれど、手元を離れるのは少し寂しくもあるのだ。

アルミ製の両手鍋も1個だけ買った。いくつも持っているのに、可愛いので見かけたら手にとってしまう。

そして、シルクスクリーン版を2個。鉄道の駅名を刷るための版だと、ひと目でピンときた。1940年ごろまで使われていたものだろう、と店主。
1つはパリからルーアン駅(現在のRouen-Saint-Sever駅)までを結ぶ鉄道線のもので、Rouen R-G(Rouen Rive-Gauche ルーアン左岸)駅の文字。ルーアン左岸駅は1944年に爆撃を受けて使用不可能になったというので、この旧駅名でのシルクスクリーン版は1944年以前の品だろう。
もう1つは、パリからAmien経由でBoulogne-Ville駅(フランス北部の海沿いの街でドーヴァー海峡にも近い)を結ぶ鉄道線のもの。Boulogne-Ville駅はイギリスへ渡るための重要な路線を擁していたために、こちらも第2次世界大戦中に爆撃を受けて使用不能になっている。いずれのシルクスクリーン版も、戦前のものということだ。Rの文字の特徴などから、版のデザイン母体が作られたのは1930年代より前ではないかと思っている。

フランス、イギリス、日本を含む極東エリアなどの地図も購入。全て同じ人のコレクションだったようである。
時代は19世紀中盤あたりと言われたが、改めて調べると、フランスの地図にアルザス=ロレーヌ地方がない。よって、普仏戦争にフランスが破れてアルザス=ロレーヌ地方を失った1871年以後のものだということが判明。

日本の地図には、京都の代わりに「Miako(都)」、東京の部分には「Yedo(江戸)」と書かれている。1868年に遷都しているが、遠い外国の遷都がフランスで出版される地図情報に反映されるには少々時間がかかったと思われる。1870年ごろの出版だろうか。


特に面白いのが、宇宙地図。天動説の世界観イラストがなんだかかわいい。