パリ13区(Bd. Auguste-Blanqui)のブロカント | 2017/08

8月最後の週末に行った13区のブロカント。
この前に来た時は、5月の小雨の日だった。

紙もの専門Dのスタンドに、大きなアクリル板に挟まれたパリの地図が立てかけられていた。

1881年のものだと言われるが、年代特定の手がかりになるようなメトロの駅名が書かれていない。どうしたものか… と思ったら、エッフェル塔がない!
ということは、確実に1889年よりは前の時代だ。

1878年完成のトロカデロ宮はすでにあるので、やはりDの情報は正しいもよう(ディーラーが常に正確な情報をくれるわけではなく、自分で納得いくまで毎回調べるのが、楽しい作業でもある)。

シャンゼリゼ周辺の様子は、今とあまり変わらないようだ。

現在のSaint-Lazare駅に、Gare de l’Ouest(Rive droite)という見慣れない名前がついている。

パリとノルマンディー地方、ブルターニュ地方を結ぶ鉄道線、La Compagnie des chemins de fer de l’Ouest(1855年設立、1909年に政府管轄になった鉄道会社)の始発駅ということ以外には、あまり情報がない。

「西駅」という名の駅が、左岸モンパルナスと右岸サン=ラザールの2ヶ所に同時に存在していたとは知らなかった。

ちなみに、現在のパリにある北駅(Gare du Nord)と東駅(Gare de l’Est)は、パリ内で各自が占める地理に基づいて名づけられているのではない。
この2駅は、パリの中央あたりに、ほぼ隣り合うように建っている。

フランス東部地方への列車の発着駅が東駅で、北部地方への列車の発着駅が北駅である。そして南部行きの南駅というのはなくて、昔からずっとリヨン駅(Gare de Lyon)発着。

今までに入手したパリの地図では1908年のものが最古だったのだけれど、今回見つけた地図はさらに古い。エッフェル塔がないパリの姿なんて今は想像できないので、おもしろいな。

その他、お洒落した若い女性の描かれた19世紀の図版をいくつか。

絵の中の架空の女性たちが、当時のファッションリーダーだったのだろうな。
ファッション雑誌も、写真投稿SNSも存在しなかった時代の。

まるで画家モネのような風貌の老人のスタンドで、ピューター製の小さめの皿と、エキュエルを見つける。

皿は17世紀のものが1枚と、18世紀のものが2枚。
ピューターの皿は、なかなか好みの枯れ具合の品にめぐり会えないでいたので、見つかってうれしい。

使い込んで傷だらけなゆえに、かえって艶が出たような表情が良い。

両手つきの深皿「エキュエル」は、深めのスープ皿が登場する前の時代に、スープをよそうために使われた上流階級の食器。ルーヴル美術館のブティックに、王家仕様の有名なデザインのレプリカが売られているのを見たことがある。

刻印の様子から、20世紀前半に作られた品だろうと思う。
どこかの美術館のレプリカ品かもしれない。

愛らしい新郎新婦の絵がついたグラス。
彼らの服装の様子から、1910年頃だろうと想像している。