パリ7区(Ecole Militaire)のブロカント | 2016/09

9月最初の週末に訪れた、7区のブロカント。前にここに来たのはちょうど1年前らしい、そうだ、あの素敵な缶を買ったんだった。

いつもと同じ場所に、顔なじみのL氏のスタンドを見つけた。

日に焼けた水色の小さな冊子は、ネクタイ、伊達襟、カフス、スカーフ、女性用襟隠し、マフラーなどを扱っていたリヨンの洋装品店のカタログ。

20世紀初頭の写真に写るスーツ姿の男性をよく見ると、襟無しのシャツに付け襟姿なのだが、その伊達襟だ。

当時は画期的だった防水加工布を使った新商品の図が、ずらりと並ぶ。

品の良い横長の判型に紐綴じ、クロモリトグラフィー(石版多色刷り。オフセット印刷の前身)の抑えた色調、活版で凹んだイラスト部分、これはオブジェとしてぜひ手元に置いておきたいと思う印刷物。

電話番号が「Paris : 1029-69」という形であること(夫よ、調査協力ありがとう)、防水織地「ギャバジン」製造のバーバリー社専売特許が1917年までであることなどを鑑みるに、1910年代後半のカタログではないかと推定。

シャツのデザインの歴史について興味を持ったので、少し調べてみた。

やはり、仕立て屋にシャツを注文出来たのは富裕層のみで、中流階級の男性は主に細君お手製のシャツを着ていたらしい。

19世紀後半に「身体に沿った複雑な型紙を複数組み合わせた」形のシャツが作られ始め、固定の襟が取れ、シャツのデザインに大きな変革が。貫頭衣のようにズボッとしたシルエット(三銃士が着ていたような)だったのが、より曲線的な、ボディコンシャスな形に変化する。

前ボタンで開閉するシステムの登場は1871年(それまでは紐)、Brown, Davies & Co.によって商標登録。

1930年に入ると固定の襟が復活し、現在に至るのだという。変革の過程で、いったん襟が取れているのが面白いなと思う。

このカタログをキープしてもらってATMで現金を下ろして戻って来たら、さきほどは気付かなかった、かわいい色のパリの地図が目を惹いた。英語で書かれているので、観光客向けに配布されたものだろう。

発行元がMinistère des Travaux publics et des Transport(公共工事と公共交通機関省)という、今では馴染みの無い名称の行政機関。

この名前の省庁が存在したのは1944年から1947年だということから、戦後すぐの品だと分かる(戦争中には観光業界を構う余裕は無かったと思うので)。使われている書体Gill Sansから、時代は1950年前後だろうと見当を付けていたので、遠からず当たっていた。

面白いのが、現在のRERのB線の前身、Sceaux線(八重桜の美しいソー公園のある街を通る)という鉄道線の終点が左岸リュクサンブール駅で、B線のサン=ミシェル駅がまだ無い。

バスティーユの新国立オペラ座も無いし、メトロ3bis線も無い、14番線もトラム線も無い。色々と無いのだけれど、何が足されようと引かれようと、パリはパリらしいものなのだなと思った。